Comment

山口敏太郎

作家・オカルト研究家
山口敏太郎

鵺のような奴という表現がある。一体何を考えているのか、よくわからない得たいの知れない人物をさす言葉である。このように複数の動物のパーツから構成されている妖怪鵺は、妖怪の中でも意味不明の存在である。本作品は日本の土着集落に漂う閉塞感と泥臭さを背景に、男女の機微が生み出す情念という魔物を妖怪・鵺として見事に体現している。また、鵺という魔物は人の心の奥底に潜む闇と善を認識させるための霊的システムかもしれない。「鵺の鳴く夜は恐ろしい」かつて、このフレーズに震えた人も多いだろう。昭和の横溝ワールドの系譜を引く、世界観は素晴らしい

はやし浩司

古代文明研究家
はやし浩司

ドロッとした、よどんだ空気。淡々と流れるイントロ。ふと気がつくと、そこはヌエの世界。「伝説の裏の真実」というセリフが、不気味さを誘う…。羽野監督のHybridというのはそういう映画だが、ヌエというのは、言うまでもなく、(サル・トラ・ヘビ)。UMA。私の郷里の岐阜県美濃市周にも、似たような話が伝わっている。ただ私の郷里では、(シシ・トラ・ヘビ)と言った。大矢田(おやだ・大きな矢を作ったところ)、洞戸(ほらど・ヌエが住む山への入り口)という地名も残っている。私は子どものころ、その話をよく聞いた。怖かった。  映画は、言うなれば静かなサスペンス。やがて男と女の秘められた情愛が、クルクルと回り出す。過去から現在へ。映画の中のヌエは、人間を裏から操る遺伝子的な「業(ごう)」と考えるとわかりやすい。この映画の主題は、そんなところにある。ヌエが○○○○○であったという設定が、おもしろい。

矢追純一

「UFO・オカルト番組」プロデューサー
矢追純一

鳥に夜と書いて「鵺=ぬえ」。日本古来から伝わる妖怪のひとつ。妖怪と聞いてニヤリとしたり、笑ってしまうあなた。あなたは肝心なことに気がついていない。僕らが知っている世界は、ごく限られた極小領域だということ。僕らが「知っている」ことのほとんどは、テレビや本で見たり、人から聞いた話しで、ハズでしかない。それを自分の知識として体験したつもりになっている。また、人間の目は可視光線内のものしか見えず、紫外線や赤外線。X線もモチロン見えない。音は20hz~2万hzの音域ぐらいの領域しか聞こえない。そして、現代人は五感を超えた能力すら忘れてしまっている。でも、それらの領域をはるかに超えた超人は存在する。つまり、僕ら普通の凡人には、見えない・聞こえない・感じることのできない広大な世界が拡がっており、全く気付かずにこの世で共生しているというのが現実。僕ら、ホンの限られた世界で生きている住人。この世には、僕らの想像を遥かに超えた別世界が共存し、何かが蠢いていることは確か。妖怪を喰らって生きてる輩がいてもおかしくない。映画を観終わって、気になることがあれば、自分で確かめに行くといい。あなたには、きっと気になることがあるハズ!

宍戸宏隆

㈱学研パブリッシング ムー編集部
宍戸宏隆

この映画に登場する鵺は、土着信仰の中に生きている妖怪でありながら、それだけには収まらない存在として描かれている。そもそも、われわれの知っている鵺とは日本古来の妖怪であり、その姿は頭が猿、胴体が狸、手足が虎、尻尾が蛇という複数の動物が組み合わさった、まさに異形のものである。ふつうに考えたら、こんな生物は地球上に存在しない。妖怪なんだから当たり前といってしまえば、それまでである。しかし、鵺をUMA(未確認動物)だと考えることはできないだろうか。実際、21世紀を迎えた現在でも、多くのUMAが目撃されている。それらの中には、伝説の妖怪や怪物にそっくりのものも数多く報告されているのだ。はたしてこの事実は、いったい何を意味しているのか。それに対するひとつの答えが、この映画の中にはある。

赤ペン瀧川

なんでも添削家・映画コメンテーター
赤ペン瀧川

“UMA未確認生物”や“妖怪ハンター”が登場しちゃった日にはもうこっちのテンションも上がってしまうのはしょうがない。“鵺”という日本古来の妖怪の誕生とその未来を描いた今作だがそんな簡単な話で終わらない。ラストには全く予想していなかった展開に驚き、胸を踊らせる事になるでしょう。それにしても特殊メイクと特撮による“例のシーン”について誰かと話したい。あぁ、話したい!!